陸上教室に所属した小学生は延べ3500人をこえます。
中学高校に進学して陸上競技を続ける子はわりといますが,大学や社会人まで続けている子になるとかなり少なくなります。ずっと陸上競技を続けていれば出会う機会は多いのですが,その後の消息が不明な子が圧倒的に多いです。
指導するコーチたちとしては,卒業してからも陸上競技を続けている,楽しんでいる姿が嬉しいです。
ここには卒業生の活躍する姿を載せていくことにします。
今の教室生にとっては知らない先輩ばかりと思いますが,金沢市小学生陸上教室に入って,陸上競技と初めて出会ったということは同じです。こんな先輩がいるのかと思って,励みにしてもらえるといいなと思います。
★7月28日から福岡でインターハイ(高校総体)が行われています。高校生の全国大会です。陸上教室からは次の6人が出場しています。
陸上教室卒業生が6人も出場するのは初めてで,入賞者が2名出たのも初めてです。
棒高跳 山本時来光・金沢高3年(決勝進出)予選4m80 決勝はNM
森田侑誠・金沢高2年(予選まで)
山本納生昌・金沢高1年(予選まで)
100m 清水空跳・星稜高1年 決勝2位(10秒50 -1.5m)
予選を突破した1年生は清水くんだけで,あとは皆3年生。
歴代高校1年生トップの記録を持つ清水くん,しっかりと実力を発揮できるのは立派です。
200m 清水空跳 7月31日(水)予選通過 準決勝DNS
5000m 奥 已咲・遊学館高3年 予選まで
走高跳 稲垣公生・龍谷高3年 決勝4位(2m09)
★7月15日,国民スポーツ大会石川県予選会が行われ,卒業生の清水空跳さん(明成小-長田中-星稜高1年)が少年B決勝で10秒26というとてつもない記録を出しました。これは上野政英さんの持つ石川県記録に並び,もちろん石川県高校記録ですし,それどころかサニブラウンさんの持つ高校1年記録を上回り,しかもU18今季世界リスト2位というものすごいタイムです。
【陸上】清水空跳が衝撃の10秒26!石川県国スポ予選で高1初の10秒2台、高校歴代9位、U18今季世界リスト2位(月刊陸上競技) - Yahoo!ニュース
いつかは県記録を破るだろうなとは思っていましたが,こんなに早く破るなんて,関係者はもちろん本人もびっくりです。
私は審判していて,鳥肌の立つくらい興奮しました。
体は大きくないけれど,しなやかで最後までぐぃーんと伸びる走りは,まだまだ伸びる可能性があります。
1年生でインターハイ100m200mの2冠というのもあるかもしれませんね。楽しみですね。
空跳さんの小学生の時はコロナ時代で,練習も休みましたし,全国大会もなく,10月に県大会が行われるという時代でした。リレーメンバーとして北國スポーツ賞の記録で優勝することができましたが,不完全燃焼の時代でした。空跳さんは4年生の時から陸上教室に来ていましたが,もう一人のエースと全国大会に出るのを楽しみにしていましたので,この時代の子達はとてもかわいそうでした。
でも,この日,空跳くん時代のリレーメンバーもベストを出していたり,記録に挑戦したりしていて,花咲く時がきて本当によかったなと思います。
星稜高校の顧問の先生は「教えたことをさらに自分で考えてものにできるすごい子だ」と言っていました。
どんなスポーツでも一緒ですが,考える力は本当に大事ですね。
空跳くんは小学校に上がる前から知っているのですが,あの小さい子がこんな記録を出すなんて,本当に驚きです。
★7月4日,五島莉乃さんがパリオリンピック大会1万mに出場することに決定しました。陸上教室の卒業生としてはもちろん初めてですし,石川県の女子陸上選手としても3人目という快挙です。
小学生の時の「オリンピックに出たい」という夢を見事にかなえるなんて,ほんとにすごいことです。ここまでの努力には並々ならぬものがあります。8月9日の女子1万m,楽しみですね。応援しましょう!
6月29日(土)に陸上教室の子たちと日本選手権観戦に行った時の記念写真を紹介します。
★1月14日,第42回都道府県対抗女子駅伝が行われました。
1区の五島莉乃さんは最初から飛び出し,2位以下を大きく引き離しての圧巻の区間賞。すばらしい走りで,県民の皆さんも元気をもらいましたね。
私は5㎞地点で,越村コーチと応援していました。我々の声援に手を挙げてこたえてくれました。
テレビのインタビューには「沿道から絶えずに「石川がんばれ」という声をかけてもらえた。走りながら胸がいっぱいになった。石川のみなさんに少しでも自分たちの走りが届けることができたならうれしい」と涙を一杯にためてこたえました。この言葉に涙した県民も多かったようです。
会場では,オリンピアンの有森裕子さんが大きな声で募金活動をしていました。本当にありがたいことです。
莉乃さんは,22日からアメリカはアルバカーキでの合宿,続いて中国・昆明での合宿に入ります。
次は5月3日の日本選手権・パリオリンピック予選です。何としても,30分40秒切りをして,オリンピック出場してほしいものです。
★1月1日,能登半島を震源に大地震が私たちを襲いました。陸上教室卒業生の寺本駿希さん,寺本京弥さん,寺本美緒寧さんが穴水町に帰省していて,土砂崩れに巻き込まれ亡くなりました。たいへん悲しく辛い出来事となりました。
3人とも4年生から6年生までの3年間,在籍していました。真面目でとても気持ちの優しい子たちでした。
卒業文集を紹介します。
No.2 6年 寺本 駿希(泉)2014年3月
ぼくは,3年間,陸上をがんばってきました。今年もボール投げで県大会にいくことができてうれしかったです。今年は特に長距離をがんばっていきました。いろいろな長距離の練習をしてきて,市民マラソンなどで去年よりタイムが速くなってうれしかったです。今年1年,いろいろな種目にもチャレンジしました。苦手なものもあったけれど,好きな種目を見つけることができました。
また,他の小学校の子たちと友だちになれたのでとても楽しかったです。一緒に喜んだり,励ましてくれたりしてくれた友だち・・・。そんなみんなの支えがあったからこそ,ぼくは楽しみながらがんばることができました。本当にありがとうございました。
来年は中学生になりますが,この陸上教室で身に付けたことを活かして上を目指していきたいと思います。
No.1 6年 寺本 京弥(泉)2015年3月
ぼくがこの1年間でがんばったことはハードルです。最初はうまく跳べなくて,ハードルがたおれてしまうことが多かったけれど,後期になってからはうまく跳べるようになってきたのでよかったです。100mでは4年生,5年生のころは速く走れなかったけれど,6年生になってから少しずつ速く走ることができるようになり,ベストタイムまで出すことができてよかったです。中学生になったら,今のタイムよりも速く走れるようにがんばりたいです。一年間本当にありがとうございました。陸上教室の3年間は楽しかったです。
No.15 6年 寺本美緒寧(泉)2020年3月
私は3年間,陸上教室に通っていました。始めたころよりもタイムが速くなったし,自己ベストが出たのでよかったです。陸上教室で走り方がフォームがきれいになったし,いろいろなことを学べました。また,5年生の時に県大会に出ることができたのでよかったです。中学生になっても,陸上教室で習ったことを生かして頑張りたいです。3年間とても成長したし,入って良かったなと思いました。3年間,ありがとうございました。
これからという人生なのに,若い命が奪われ,本当に残念で残念でたまりません。
心からご冥福をお祈りいたします。
★12月10日,パリオリンピック10000m予選の日本選手権が国立競技場で開催されました。小学生の時から「目標はオリンピックに出ること」と明言していた五島莉乃さんの応援に出かけました。中村なぎさコーチも一緒に応援しました。なぎさコーチは「一度,トップの大会を見てみたい」とワクワクしていました。弟の哲也くんも一緒です。哲也くんは五島さんと陸上教室で同期でした。今回からトラックのすぐそばで応援できるので,臨場感満点です。
レースは最初から莉乃さんがペースランナーについて集団を引っ張る積極的なレース。ハイペースで周回するたびに3人で,大声で声援しました。すばらしい走りで本当にワクワクしました。残念なことに最後の一周で,廣中さんがトップに,ラスト100mでは高島さん,小海さんにも先を越され,結果は4位。30分58秒という自己ベストを出したのですが,ポイントを上げることができず,残念な結果となりました。
莉乃さんは泣き崩れていましたが,これが勝負の世界。気持ちを切り替えて5月の日本選手権に再挑戦してほしいと思います。
レースを終えて,哲也くんは同期の走りに「勇気をもらった」と言っていました。
★10月13日からの鹿児島国体に陸上教室卒業生5人が出場しました。陸上教室から5人も出場するのは初めてと思います。
少年A 棒高跳 山本時来光さん(金沢高校2年)結果4m70
少年B 100m 清水空跳さん(長田中3年) 結果10秒99
少年A 300m 津田伊万さん(洛南高校3年) 結果32秒95 2位入賞
少年B 110mH 岡田佳樹さん(北陸学院1年) 結果15秒05
少年A 走高跳 稲垣公正さん(龍谷高校2年) 結果2m00
自転車競技の北岡マリアさん(内灘高校3年)も陸上教室の水曜夕方県営での特別練習だけなのですが,よく来ていました。
★9月23日の練習会に卒業生の前田(旧姓:志村)和香奈さんが顔を出してくれました。和香奈さんは現在は大阪に住んでいます。今も現役の短距離ランナー(中部桃丘TFC所属)で,翌日の福井でのマスターズの大会前に金沢に寄ってくれました。終わりの会にも挨拶してくれて,みんなにお土産のお菓子も持ってきてくれました。
昨年の2月に出産してすぐにも試合に復帰しています。すごいですね。最近,やっと小学校6年の記録〈13秒67〉に戻ったと言っていました。このタイムを携帯電話の番号にしているほど,思い入れのあるタイムだそうです。
この〈13秒67〉が金沢市陸上教室の女子100mの最高タイムです。このタイムをこえようと頑張っていた子もいましたが,14年間まだ破られていません。
卒業生の女子で現在も短距離のランナーとして,陸上競技を楽しんでいるのは和香奈さんだけかな?陸上教室卒業生の理想の姿です。
★8月19日,ハンガリー・ブダペスト世界陸上選手権が開催され,五島莉乃さんが女子10000mに出場しました。昨年のアメリカ・オレゴン世界陸上に続いて2度目になります。石川県の女子陸上選手で2度も世界陸上に出場するのは五島さんだけです。
監督野村は応援に行ってきました。結果は33分20秒38で20位でした。
急に出場が決まったので調整不足で,残念ながら力を発揮することができませんでしたが,世界の20位は立派です。そもそも日本代表として走ることがすごいことです。
これから,五島さん得意の駅伝シーズンが始まりますので,ぜひとも応援しましょう。
★長田中3年の清水空跳さんが,8月の全中・男子200mで見事に優勝しました。決勝記録は21秒99,予選で21秒84の県中学タイで走っています。素晴らしい走りでした!
また,6月の県中学大会では,100m10秒75の県中学新で優勝しました。
清水くんの時代は,コロナで県小学生大会も全国大会も開催されなかった年です。秋の代替県小学生大会では混合リレーで優勝したのですが,小学校時代の悔しい思いを中学校で見事にはらすことができて本当によかったと思います。
★6月の金沢市中学校春季大会の清泉中1年リレーメンバーです。急遽,大高くん,石野くん,沖野くん,上里くんの4人で出場することになって,練習している様子を撮りました。陸上教室卒業生だけで,一つの中学校の1年リレーを組むことができるなんて,珍しいというか,初めてのことだと思います。
洛南高校・津田伊万くんのコーチ
7月9日定例練習日の朝、市営に津田伊万くん(京都・洛南高校2年)がいて、ビックリ!何でも、インターハイに出る生徒は修学旅行には行くことができないそうで、金沢に帰ってきたそうです。そして、金商の宮崎先生に呼ばれて高校生のコーチに来ていました。
津田くんは、陸上教室時代、5年生100mで全国大会準決勝まで進出、6年生時男子リレー(2走)で準決勝まで進出、100m12秒40は県小学生記録、リレーの50秒45も県小学生記録です。
中学3年の全中大会200mで優勝。現在、桐生選手も在学していた洛南高校で活躍中。高校2年ではトップ、8月のインターハイには200m、4×100mR,4×400mRに出るそうです。
「このチャンスを逃す手はないな」とドリルのエキスだけ教えてもらいました。
はしごラダーでは、ヒザと足首を固めたジャンプ。私はいつも「ヒザと足首にボンドを塗ってかためましょう」と言っていますが、まさにそのようなジャンプでした。
マイクロハードルでは、しっかりと体の真下に接地をする見本を見せてもらいました。地面からの反力を生かした見事な動きでした。
「京都洛南高校のグラウンドは狭くて、50mをやっととることができくらい。そこでハードルを1m間隔で50台並べて、ひたすら「踏んで、踏んで」のドリルをしている」と洛南高校の柴田監督に聞いたことがあるのですが、津田くんは「その通りだ」と言っていました。
ラダーにしてもハードルにしても、日本一の高校生も同じことを意識して練習しているということで自信を持ってほしいと思います。
津田くんも小学生の時、練習ではこういう基本のドリルが大半で、100mを何本も何本も走るという練習はしていません。
リレーのバトンワークも見てもらいました。洛南高校でも、オーバーハンドパスだそうです。「パスする手をしっかり見て渡すこと。この練習の時はあわてないできっちりと渡すことだ大事」と注意されました。
最後に、津田くんは高校生に「走ることは簡単に思うかもしれないけれど、実は奥深い動きがたくさんある。勉強してほしい」と言っていましたが、まったくその通りです。
5年前の小学生時代とは見違えるようながっしりとした体格になり、立派になりました。的確なアドバイスもできるようになりました。インターハイで活躍する事を願っています。
金商の宮崎先生からは「オリンピックに出んなんぞ!」と発破をかけられていました。津田くんは、5年生の時に市役所に挨拶に行った時に、当時の山野市長に「夢は何ですか?」と聞かれて、「オリンピックに出ることです」と答えていました。夢がかなうといいですね。
五島莉乃さん、石川県女子で初めて世界陸上選手権に出場決定!
5月7日(土)いしかわスポレク大会で、陸上教室の子たちと星稜高校の北川先生がメッセージを書き込んだ応援旗を持って、私(野村)は国立競技場の日本選手権1万mに応援に出かけました。スタートラインの横に陣取り、応援旗を振ると、五島さんは気付いて手を振ってくれました。「先生の顔を見て、大きな旗を見て、スタート前に大きな力をもらいました!!!」とのことで本当によかったです。
スタートから先頭を引っ張り、31分10秒のペースで進んでいました。7000mあたりからペースが落ちましたが、粘りに粘って見事3位に入って世界陸上出場の内定を得ました。フィニッシュしたあと、彼女にしては珍しく膝に手をあてうつむき、心底疲れ切った様子でした。本当によくがんばりました。
「五島さん、世界陸上内定です!」という場内アナウンスに涙を流していました。私からも「おめでとう!」と声をかけると、もういつものニッコリでした。
表彰式が終わって会うことができました。資生堂のマネージャー、会社の方々、いつも食事を作ってくださる管理栄養士さん、中大時代のコーチ・・・と会って、たくさんの方々に支えてもらっているのだなあと驚く反面、たいへん苦労もする世界だなあということを感じました。
翌日の北國新聞で大きくとりあげられていましたね。石川テレビの夕方のニュースでは、小学6年生時の百万石ロードレース優勝の映像とあわせて放送していました。「将来の夢は?」のインタビューに「マラソンでオリンピックに出たい!」と答えていて、「ああ、そうだったなあ」と思い起こしました。アメリカでの世界陸上のあとは、オリンピック・パリ大会でのマラソン出場をねらうことになるのかもしれません。
五島莉乃さん、石川県で初めて都道府県対抗駅伝で1位でタスキをつなぐ(2022年1月16日)
1月16日の都道府県対抗女子駅伝の石川チームの一走は陸上教室卒業の五島莉乃さんでした。テレビの前で観戦応援していた子も多いと思います。
圧倒的な走りで、ぶっちぎりの区間賞でした。1位でタスキをつなぐのは石川県初めてのことですから、県民みんな驚いたことと思います。
五島さんは5年6年(2008年2009年)と金沢市小学生陸上教室に所属していました。
陸上教室で日々練習した結果ということでは絶対になくて、「陸上教室が陸上競技との出会いの場であった」ということです。
みなさんの先輩と言っても会った子は少ないのでピンとこないでしょうが、「陸上競技との出会いの場」ということでは同じですね。(3年前の冬季練習の時に来てくれたのですが、またいつか来てくれるといいですね)
「どんな小学校時代だったのかなあ?」と気になる子もいると思います。
五島さんは当時、水泳の長距離選手コースにも入っていました。ピアノもとても上手でした(中学校の卒業式でも演奏)。勉強もたいへんよくできました。
陸上では、1000mのベストタイムが3分11秒で当時の県一番で、ロードレースでも優勝していました。
陸上教室や家で走り込んで速くなったということではないので、持久力のもととなっているのは水泳であるのは間違いありません。
朝の水泳練習を終えてから陸上教室の練習にきていました。
当時は「将来オリンピックを狙うようになる」とは思ったことはありませんでしたが(というか、私はそういうことを思わないようにしています)、ずっと頭に残っていることが2つあります。
一つは、心拍数の戻りの早さです。当時は私もそこそこ走れたので、五島さんと並んでペース走やインターバル走ができました。どんなにハアハアと言っていても、走り終えるとケロリとしていてびっくりしていました。心拍数が上がってもストンと落ちる心臓はとてもいい心臓です。※注1
いつもレースのあとは、ケロリとしています。今日の駅伝でも「たぶんそうだろうな」と思ってみていましたら、その通りでした。今まで苦しそうにしている姿を見たことはほとんどありません。
もう一つは、100m走のタイムです。正式タイムは明らかにしませんが、B標準です。「1000mはあんなに速いのに、何でや?」とコーチは皆、首をかしげていました。
ここからは私の推測ですが、おそらく筋肉の組成が遅筋(赤筋)の割合が高くて、すでにその頃には発達していたのだと思います。遅筋(赤筋)と速筋(白筋)の割合はトレーニングによって変わるとはいうものの、ある程度生まれつき決まっています。
教室の中にも「1000mは得意だけれど、100mはどうも・・」という子はいますね。心配しなくていいのですよ。
今日の駅伝では、田中さんとのラスト勝負を意識して最初からハイペースでしたが、それは当然のことです。※注2
五島さんは星稜中、星稜高でも活躍しましたが、全国のトップではありませんでした。監督は「無理させなかった」と言っていました。これがとても重要ですね。
中央大学内でもトップ選手として活躍しましたが、全国のトップではありませんでした。競技をしている以上、1位を狙って走るのですから、苦しい時期がずっと続いたと思います。